蕎麦好きの独り言(2014.10.08up)

その壱拾、「露往霜来」



庄内平野



今年も残すところあと三ヶ月、忙しいのか暇なのかよく分からずにここまで来た。山歩きは蜂騒動の後にはぷっつりと途切れ、蕎麦打ちも夏の暑さ故ままならず、何をしていたのか考えるが記憶は深い闇に包まれている。
そんな中での楽しみは… 

                                            ↓ ↓ ↓  


これしかないのだった(汗)

蕎麦の花は終わり結実し刈取を待つばかり、稲刈りも盛期を過ぎ晩稲の刈取が雨で滞っている。晴れれば気持ちよいが雨が降るとうら寂しくなる季節、時にはセンチメンタルになるのも悪くはない。
最近矢鱈目ったら思い出すのが昔の光景、まるで走馬燈のように次から次へと在り在りとね…
これは認知症の前兆なのだろうか?
昨日のことなんて日付が変わればきれいに忘れてしまうのにねぇ〜

中でも高い確率で蘇るのが学校を終えて就職した頃のこと、当時の仕事絡みのことなどはリアルに思い出すことが出来る。どこそこの会社の電話番号は○○-○○○○で、担当は誰で何か面白いことを言っていたとか、40年近い昔のことが何でこんなにリアルに思い出せるのか、中にはとっくに亡くなってしまった方もいるが、当時の顔を忘れることは出来ない。みんなどうしているかなぁ…

若かりし頃に一時期都会にいたことがあった。ほんの数ヶ月ですがね…
けっこう憧れがあって喜び勇んで出て行ったのは記憶しているが、その頃の記憶ははっきり言って飛んでいる。結構楽しい思い出もあるのだが具体的な映像となって蘇ることは少ないのだ。何故だろう?
飯田橋や当時議員宿舎のあった赤坂なんかにも頻繁に出没していたはずだが…
思い出すのは近代的な都会のイメージではなく、スラムのような街並みと人、人、人の波…

そう、肝心の蕎麦の記憶は…
何と言っても原点は学生時代に毎日通った駅前の立ち食い蕎麦屋、当時天ぷら蕎麦なんていくらだったか?貧乏学生が毎日食べられるんだからたいした金額じゃない。確か学割なんかもあったと思う。手打ちの味なんて知るはずもなく、ビニールの袋をかっ破いてさっと湯通しして熱いタレをかけ、衣ばかりのエビ天をのせて出来上がり、帰りの汽車の出発まであと五分、発車のベルが鳴るまで啜り込んでいた。それの何と美味しかったことよ…
ずっと後になるまで蕎麦というのはあの味と決め込んでいたのだから恥ずかしいことこの上ない。

後年に上越新幹線を新潟で乗り換え階段を急いでいなほのホームまで、そこにある立ち食い蕎麦の香りが当時の記憶と重なり買い求めた。車内に持込み発車後食べた時の周りの乗客の恨めしそうな視線が忘れられない(笑)
本当はホームでゆっくり食べたかったのだが、新潟での乗り換えは本当に忙しないのだ。
ホームの立ち食い蕎麦屋が今あるかどうかは知らないが、あのおいしそうな香りを嗅ぐとよだれが出てくる性癖は何年経っても変わらないと思う。

人の記憶というのは不思議なもので自分の都合で変化する場合もある。言ってもいないことを言ったと断言する人や、見たことのないことを見たという人、嘘つきのようでもあるが言ってる本人にしたら至って真剣な話という場合も多い。筆者のような優柔不断でテキトウな人間は、嘘も方便で忘れたふりをして逃亡を企てることも無きにしも非ずなのだが、ここだけの話にしておこう…
正直本当に忘れている場合が圧倒的に多く、決して言い訳のため忘れたなんてことはまず無い。これは加齢による生理現象なのだから、忘れたことを責められるのは理不尽きわまりないように思うのだが、世間には通用しないのだろう。

気持ちだけは昔と変わらない気がするし、思い出す光景もリアルで昨日のことのようだが、そこには思いがけない時間が存在し時空の歪みが横たわっている。けれども当人にはその歪みを理解することが出来ない。それは不幸なことなのだろうかという疑問…
自分は相応に歳をとっているんだという自覚はある。けれどもそれを認めない意識も確かに存在する。
時の流れというものは現実的には一定であるが、感覚的にはそれなりに変化し、遅くも早くもあるということは誰でも感じているのだろうが、総じて、振り返ったときの時の流れは早いものだと思う。

人類には記憶という概念を有形化した歴史がある。けれども人間の記憶には物理的質量はない。考えてみると不思議なことだ。目には見えないけど確かに存在する大切なものなのにね。
システマテックに理論化された現代社会においても不思議なものが存在する証だろう。
記憶の中にある風景と現実の風景を比較することはある意味時空を遡ることになるのではないだろうか。などと収穫の秋に頭を垂れた稲穂をぼんやり眺めながら考えている。